私がやりたかった事が『群像劇での伏線からの種明かし』らしいのは理解したのだが、それはやりたかった事の一部なのである。
(アンタ前回あれだけ書いておいて何言ってんだ)
私は自分が創作や人生で体験して面白いと感じた物を後世にも創作を通して残したい。広めたいのだ。
ただそれは、こんな風に言葉だけで形にしようとすると酷く陳腐に感じてしまい、堪らなく恥ずかしいのである。
出来るだけ作品で見せたい。
そして直接的な押し付けの言葉ではなく、体感、ふんわりと感じ取って『こういうのも良いな』という、グレーゾーンを広げる。
そんな作者でありたい。
こんなこっぱずかしいセリフもTwitterやってると呟きたくなってしまうが、出来れば作品内、ないしはこの様に限られた人しか見ないような場所だけで口にしたい所だ。
だって、他人の作品をプレイするのに、一々作者の思想まで頭に入れてとか、そんなのはもうゲームで遊ぶとは言えないと思うんだ。
だから こんな駄文の事はどうか忘れて欲しい。
これはあれだ、
私が私を見つめ直す為に記事として書き記して置くのであって、なんならこの先の人生で考え方も変わる事もあるかもしれないし
そう、今の自分を記録する為の行為なのだ。
そして
それは後に黒歴史と……ひいい